肯定。

チベット仏教密教の本からです。

密教の概要には、2つのおしえがあります。ばじらと、たんとらです。場時らは、強い心、たんとらは煩悩肯定です。

そこで、社会の風評には、いかがわしい噂もあります。性欲の肯定とありますが、これが間違っていることです。ましてや、同性愛としてのことはもっての他です。仏教に対する冒涜です。

 

ある時代から、新道と、仏教が別々になりました。それから、です。それまでは、同じ宗教として、ありました。そう言うことです。だから、奥義でもある、密教が繋がるわけです。

 

それが、様々なら、それはうまくいきません。

それこそ、天才ということです。才能ある日としか無理ということです。

また、手が来た。でも私は違います。騙されません。よって、ゴーゴーです。

あとは、そう言うことです。詳しく言えば、また、さらに、密教において、時代により、戒律が違いますから、その時にその時によって、です。しかしだんだん進歩していっているというということです。最初は、結婚は無理ということで、密教となると、結婚が許されたということです。また、それなりの女性でなければ、修行しゃとしての結果を出せないということです。特にむかしの日とで言うならば、からだが自然になくなるということです。残りは、髪の毛と、何かといってましたが、その姿もなくかれます。ミイラと同じです。地かに入り、ミイラとなって、世のためにいけにえではありませんが、そのようなひとは多いです。

 

  • まずは、密教のレベルが会います。所さから、始まり最後は、セックスをして、たいらくということです。それまでは、目を見つめ会う、手を握り会う。話しても性行為はしない、そして、性行為をしても、煩悩肯定することです。それが今の自立という感じでもありますが、お互いの時間を大切にし手、己の生活の肯定です。それが究極的なことです。
  • 前期と後期の修行が違うということですが、時代によっては、性行為、または、今と同じようなてぅもです。それで、己の無意識の修行があります。
  • 時代により、後期は、てぅもですが、それでも、ヤブユムですので、もしそのようなたんとら的な考えでも、それは、無意識の修行ですので、また、それまでの修行としてあるべきことは、けんきょうといえば、大乗のことです。そのおしえがない限り、また密教の勉強もしていなければ、その資格は与えれません。資格なしの人間がやるから、このようなことになるのです。
  • 例え、同姓でしても、そのきほんがあるならば、おの図と理解できますが、それもまた才能です。その資質がないから、おかしくなります。どんな、同性愛でなくても、それではだんだんおかしくなります。いつかは変わってきます。それこそ戒律違反です。
  • 空気ということもありますが、その人がそこにいないのに、どうしてその空気が出せるのかということです。その空気を感じるということもありますが、それがということです。感知するというか、そうです。自然にしていけば、意図的ではないので、おかしくはなりません。まして、その人のペースがありますので、ゆっくりならゆっくりと言うことです。それをその訳のわからない声とでも言うのか、それを信じる方もそうですが、まともだと、まさかここまでということにもあります。その善悪が全くないということです。それも、仏教での破壊者ということです。それと縁をつけることの怖さです。何もないほうが間だ、幸せです。でも、です。それが、微妙に変化という繊細なひともいます。ので、気を付けないと、メンタル、精神的に影響はあたえれられています。
  • それで、ちぇはここまで落ちました。って言う感じです。何もしない方が、間だ、ましですが、これもまた、無意識というか、感知というか影響はかなりあります。結局、やったか、やらないかの問題です。それが抜かれててもです。だから、悪い気を受けて、ということです。
  • 熱の怖さ?でも、これも風を引いて、具合が悪くなるのと同じです。からだが悲鳴をあげているということです。気だけでは、いずれ体も壊れます。病気になってからでは、遅いです。すでに遅し。なおればいいですが、ということです。
  • そのようなエゴを見ていると、都合で、やっていたことです。余り、命のとうとさを感じません。むかしの看護婦のひとは、人を助けてたいとか、思いやりで言いますが、今はそのようなひとはいるのかという感じです。エゴばかり、お金持ちと結婚したいの?という感じです。それは、私のおばさんがそうでした。結婚するまで、看護婦で、見初められて、結婚しました。噂は怖いです。あまりにもひどいと、感じている方が、感想肌のように心はボロボロです。でも、経験していないからといって、己を就職、またはですが、結婚使用としても、無理です。
  • だって、それで、結婚したひとがいますが、今も離婚せずに、したたかにいます。どのようなことをしているのかです。特に仕事がるからいいじゃんと言うひともいますが、それって、生活において、それが、当たり前であり、結婚、楽しく過ごすことが大切なことです。勝手に仕事があるからといういじめは最低です。反対にないひともいますが。大変です。それを見ていると、したたか女は数名います。離婚していないよ。それで、何でいつも私が、という気持ちにもなります。特に男性も、いつも仕事に支障をあたえているひともいます。男性の小言です。それもいつまで忍耐できるかということです。その精神的な影響も少しずつ、じわじわとあります。ので、脳の病気には、気を付けないと、これはひとに言われて、できることではなく己ですね。それこそ、地層です。

それこそ、いい人と出会わないと、己で、己の人生をダメにしています。それってあり?消化だけでなく、人生までのダメにして、要求はいっぱしです。本当に密教を知っていたら、その要求することはできないはずです。

 

というのも落ちていからは、違いますが。いつもの肯定です。